1978 -アラフォーからの一生モノ探しー

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【渓谷飛越】時代を超えて現代へメッセージ【第6回】

「天声人語」にあやかって「渓谷飛越」、つまりグレンオーヴァー。30年以上前に新聞で連載されていた珠玉のメッセージを全7回にわたって紹介する企画。今回はいよいよ第6回、是非ご覧いただきたい。

 

 

尊敬する人は?と聞かれて真っ先に思い浮かぶのは「赤峰幸生」と「江頭2:50」。

先日、赤峰幸生氏から資料を整理している際に見つけた資料ということで、過去に新聞に連載していた「渓谷飛越」の記事をご連携いただいた。

 

全8編からなる「渓谷飛越」だが、第6回となる今回は7編目をご紹介させていただく。

今回を含めてあと2回でフィナーレ。赤峰幸生氏がみた80年代のイタリアはどうだったのか?

 

 

工場は向上しているか

日本のファッションは、今イタリアブーム。

生地輸入、製品輸入、メーカー、デザイナー、ショップとの提携。ありとあらゆる形でイタリアが「輸入」されている。それでも足りず、最近では金の力にモノを言わせて企業買収さえ始まった。

 

確かにイタリアの職人技術には定評がある。

我々も3年がかりで、毎年2、3回イタリア各地を訪れ、良きパートナーを求めてきたが、昨年やっと、共に良いものをつくろうというメーカー(工場)にめぐり会うことができた。

 

イタリアの工場は、独自の技術と感覚を全面に打ち出し、服の基本とも言える立体性を徹底的に追求する。先日も、午前11時から午後6時まで、昼食も取らずにわれわれの要求に答えてくれた。

 

彼らはプロフェッショナルとして、妥協を極度に嫌う。こと型紙ともなると、パタンナー、コンピューター管理責任者、現場責任者がケンケンガクガク、まるでケンカのようだ。

 

古い民謡のカンツォーネ、イタリア人は働かない、だらしがない‥‥日本人のイタリアに対するイメージは、昔とほとんど変わっていない。しかし、実際は違う。昼食抜きで働く人も数多いし、約束は期日通り守る。

 

イタリアに滞在して3週間、イタリアのことを、これからの日本のことをいろいろ考えた。イタリアは職人技術の国、そして最近では、感性の国、マーケティングの国ともいわれ、めざましい発展ぶりだが、底流には職人精神が脈々と流れつづけている。

この精神はどんなに高額の金を積んでも買うことは出来ない。

 

結局は、日本の本質をどうやって見つけだすか、ということなのだろう。いつまでも他人のフンドシで相撲を取るのではなく、自分たちのフンドシをつくり上げなくてはならない。

 

わが社も2月で満8歳になる。若手もどんどん登用し、新しい体制で、グレンオーヴァーの本質をつくっていきたい。

 

赤峰幸生氏の目を通した1980年代のイタリア。

大きな感銘を受けたことが文章からうかがえる。終生の盟友であるアントニオ・リヴェラーノ氏と出会ったのもこのころだったのではないか。先日、赤峰幸生氏にお会いした時に、リヴェラーノ氏から電話があり、目の前で会話をする姿を見る機会があった。イタリア語を操りながら会話をする赤峰幸生氏を見て、映画のエキストラになったような気持ちになった。

 

イタリアに対する、働かない、期日を守らないといったイメージは今も変わっていないのではないか。実際にお店で話しを伺うと、そういう話しを聞くこともある。お願いしたものと、違うものが出来上がってくるという話も聞く。

しかし、これは人によるのだ。日本人も同じ。日本人は勤勉で真面目なイメージがあると聞くが、そうでない人間も一杯いる。

 

お店で期日通りに仕上がってこない、違うものが出来上がってきた、という話しのあとに続く言葉は決まって「それでも出来上がってきたものは素晴らしい」という言葉だ。

 

結局は、日本の本質をどうやって見つけだすか、ということなのだろう。

 

日本人による日本人のための服を模索する赤峰幸生氏の姿が浮かぶ。

お金を儲けるだけならイタリアを「輸入」すれば良かった。それをせずに日本の本質を見つめ続けたからこそ2020年の今がある。

 

そしてこれこそ文中の以下の言葉に相応しいのではないだろうか。

 

この精神はどんなに高額の金を積んでも買うことは出来ない。

 

成長の余地がある日本の服飾文化

イタリアと日本で似ているところに南北に長いということがある。

イタリアでは北部のミラノ、南部のナポリでは服飾文化は異なるが、日本ではどうだろうか?

 

日本の北海道、沖縄で比較‥といっても比較するものが思いつかない。

日本において洋装の服飾文化は未だに出来上がっておらず、今後出来上がるのかすら怪しいと筆者は考えている。

しかし、物は考えようだ。成長の余地が多分にあるということでもある。

 

日本にはすでに本物の服がある。

 

あとはそれが土地ごとの気候や、住む人の気質によって変化していけば、いずれ文化になっていくのではないだろうか。

 

他の渓谷飛越の記事はこちら。

【渓谷飛越】時代を超えて現代へメッセージ【第1回】 - 1978 -アラフォーからの一生モノ探しー

【渓谷飛越】時代を超えて現代へメッセージ【第2回】 - 1978 -アラフォーからの一生モノ探しー

【渓谷飛越】時代を超えて現代へメッセージ【第3回】 - 1978 -アラフォーからの一生モノ探しー

【渓谷飛越】時代を超えて現代へメッセージ【第4回】 - 1978 -アラフォーからの一生モノ探しー

【渓谷飛越】時代を超えて現代へメッセージ【第5回】 - 1978 -アラフォーからの一生モノ探しー

 

まとめ。

いかがだっただろうか。

今回は赤峰幸生氏の許可を得て、過去に新聞に連載していた「渓谷飛越」から全8編中の第7編目「工場は向上しているか」をご紹介した。

誤字脱字には注意したが、全て手で入力したのでもしあったなら申し訳ない。

 

筆者の感想は全て文中に記載させていただいた。

皆様はどう思われただろうか。

毎週1回の更新を予定しており、次回は最後となる第8編目をご紹介したいと思う。この8編目にはタイトルが付いていない。第1回の「広告の目次」をご覧いただきたいのだが、目次に書かれているのは「工場は向上しているか」まで。

 

どう締めくくられるのか。

最後の最後まで期待を裏切らないことを約束するので、楽しみにしていただきたい。

 

最後に赤峰幸生氏に心からの感謝を。