今回はファッションあるあるである「マウント」について。タイトルにある通りダサいが回答ですが興味がある方は読み物としてどうぞ。ダサいものはダサいというべき。
不思議に思いませんか?
「ロゴドン」アイテムがダサいのは共通認識だと思うものの売れるから存在しているわけで、売れるってことは実は共通認識ではないのでは、と。
ファッションって「ロゴ」や「タグ」が大事なのか。
少し前にマルジェラのタグをとった母親が子供に怒られたなんてニュースを目にしましたが、これってタグが仕付け糸になっていて、「ブランドネームに囚われず服そのものを見てほしい」というマルジェラの思想からそうなっているらしい。
でも取ったらどこのブランドかわからなくなるのでそのまま着ると。つまるところ四隅の仕付け糸がマルジェラってわかるから大事なのでしょう。
個人の自由だと思いますがダサいとは思いますね。
たぶんマルジェラも同じことを言うんじゃないかな。
おしゃれマウント、ファッションマウントはダサい。
つい先日友人と「お金を稼ぐ能力が高い=凄い人」って風潮はどうなんだ?という会話をしました。いや、凄いことは凄いんです。
ただお金って根本は何かを得るための道具であり、本質はお金をどう使うかだと思うわけです。お金を使ってどう幸せになるか、どう社会に還元するか。
ファッションに話しを戻すと、お金持ちが全身エルメスっていうのを否定する気は全くないものの、全身エルメスだということをアピールするのはダサい。
なぜダサいかといえば、お金はあっても品性がないことがわかるから。幼い子供が買ってもらったおもちゃを自慢していたら嗜めるのが普通の感性でしょう。
幼い子供と同じことをしていたら、それは大人としてダサいと思うわけです。
もちろん上質なアイテムをひけらかさずに着ている人はにはそんなことは思いません。
少し前ですかね、SNSで「ラーメン食べに来た」って写真にチラッと‥いや大胆にブランドの購入袋を見せるみたいなのをやってる人がいて、実際に見せたいのはラーメンではなく‥みたないな。結構バカにされてましたよね。
他者へのアピールは総じてダサい。
なぜなのかわからない。
純粋な疑問なのですが〇〇のブランドや××の生地といったことは自分だけが知っていればよくないですか?
やっぱり〇〇のブランドを着てるってことを他者にアピールしてチヤホヤされたいんですかね。チヤホヤする側もされる側も遠い世界の住人であって欲しいなぁ。
イタリアでお会いしたアントニオ・リヴェラーノ氏は、「SNSで〇〇のジャケットだ、とかアピールする奴が大嫌いだ」と仰ってました。
個人的にはそんなことをしなくてもわかる人にはわかるし、わからない人にアピールする意味もないと思うんです。
つまり全ての人に見せびらかしたいからロゴドンが存在するわけか。
いちいち言わなくても伝わるしね。あれ?つまりはその方が効率がいいってことだな。そうするととても有益なアイテムに思えてきたぞ。
だってそういうのがダサいという人は近づかないし、カッコいいという人が寄っていくわけで、そこで住み分けができますよね。
そう考えると一周回ってとても優れたアイテムなのか。うーん。
まとめ。
いかがだったでしょうか。
今回はおしゃれマウント、ファッションマウントはダサいというズバッとした記事でした。好きな人は好きでいいと思いますが、個人的には「うわっ」ってなります。
やっぱりダサいものはダサいとはっきり言った方がいいと思うんですよ。
おしゃれやファッションでマウントをとりたいなら、ブランドアピールではなくてコーディネートでとって欲しいと思います。かっこいい、悪いは主観ですがその主観も含めてセンス。10人中10人は無理でも7人に受け入れられればそれはカッコいいでしょう。
某雑誌は「お金じゃなくてセンスです」みたいなことを謳って高額ブランドのカタログをやってますが、あのありようをカッコいいとは思えないんですよ。
お金じゃ品性は買えないと思いつつ、良いところの生まれだと教育もあって品性を伴うのかもしれないと思うとなんだかなって思いますね。
今回は以上です。ありがとうございました。