「君たちはどう生きるか」映画はもう観られましたか?今回は映画とは全く関係ありませんが、常々思っていることを記事にしてみたいと思います。まぁ大した話じゃないので暇な人だけご覧ください。
全てにおいて一番大事なことは「カッコいい」または「美しい」と思えるかだと思っています。見た目だけじゃないですよ。行動原理の部分でも。
自分の行動、行いは「カッコいい」だろうか、人として「美しい」だろうか。
自分の装いは人に見られて恥ずかしくはないだろうか、カッコいいだろうか。
どう生きるのかって、ただただこれだけ。
世の中残念なことに暴力を振るうことがカッコいいと思っている人や、他人に迷惑をかけることをカッコいいと思っているような人がいます。
全身わかりやすくブランドで固めて、自己承認欲求を満たしたいという人だっています。まぁあれはあれでそういう女性を引っかけるのにコスパがいいらしいですが。
でも、人は人。
していることは提案。
クラシック原理主義者、赤峰信者のように思われているかもしれません。
もちろんクラシックスタイルを推奨していますし、個人的にもそれが一番カッコいいと思っています。でもそれを押し付けることに意味を感じていません。
例えば革靴の素足履きについても、それがカッコいいと思っているならやり続けて欲しいと考えています。これは他の記事でも書いたことがありますね。
クルーネックにジャケットを合わせるのも本人がカッコいいと思っている、デメリットについて納得しているのであれば構わないと思います。斉藤さん。自身は汚いと思ってしまいますが(笑)
ちなみにこの”汚い”を解消するための仕掛けを齋藤力氏に提案したこともあります。
大事なことは自分が「カッコいい」「美しい」と思えるかなんですよ。
そして出来れば他人から「カッコいい」または「美しい」と思われるような装い、生き方をして欲しいと思います。
100人中100人は無理かもしれませんが、目指すべきはそこだと考えています。そしてそこを目指すからこそクラシックスタイルを推奨しているわけです。
残念ながらご自身が「カッコいい」と思えなければやっぱり意味はありませんが。
あなたはどう生きるのか?
究極、人は死ぬために生きているともいえるとのかなと。
当たり前ですがいつかは絶対に死にます。
年を取ればとるほど1日1日が過ぎていくのが早くなるし、体だって加速度的に衰えていきます。
同じ1日なんてない‥みたいな言葉って聞くじゃないですか。
当たり前のことを偉そうに言うなって話しなんですが、オッサンになって日々食べるもの、着るものを考えるようになりました。
同じ1食なら美味しい方がいい、同じ1日なら気分良く過ごしたい。
親の顔は何回見られるだろう。会うのが1年に3回、4回程度だとあと100回も見れないでしょう。昔は1年に365日見ていたのに。
学生のころ毎日のように会っていた友人と会うのは年に何回でしょうか。
”いつか”なんて一生ありません。
斉藤さん。自身、今年になって小旅行に積極的に行くようになりました。インドア派なので面倒だなって思う部分もありますが、無理やり行くようにしています。行ったら行ったで楽しいし、得るものがあります。
美術館や映画館も「これ良かった」と聞いたら足を運んでいます。中には全然興味がないものもありますが、それでも行ったら思うものがある。
あなたが「カッコいい」「美しい」と思える装いってどんな感じですかね?生き方は?
俺はどう生きるのか?
40も半ばを過ぎればわかります。どうやら自分は大した人間ではないらしい。
もっと早く気づけよって話しですが、男なんてそんなもん。どこかで何かを成せるんじゃないかって思ってる部分があったりする。ないのに。
でもさ、自分が納得した生き方をしたいよね。
誰かを騙してお金を欲しいとは思わないし、納得できないことをしたいと思わない。
自分がカッコいいと思わないものを持ち上げたいとも思わない。
自分の人生、自分が満足出来ればそれでいいと思うんですよ。
50歳くらいにはいろいろなものから解放されるので、そこに向けて動いて行こうと考えています。
まとめ。
いかがだったでしょうか。
今回は‥まぁご覧の通りです。たまにはこんな記事はいかがでしょうか。
あくまで読者の方に向けた提案みたいなものです。
師匠である赤峰幸生氏がよく言ってますよ。「服だけじゃダメだ。俺は服マニアが嫌いだ。」って。斉藤さん。自身、服は好きですがあくまで道具のような位置づけです。
道具は単体で意味を成さず、それをどう使うのかが大事ですよね。
人生をよりよく過ごすための服であって、服の為に人生があるわけではありません。
そもそも服なんか食べられないし、住むこともできませんから。衣食住、現代において一番重要性が低いのが服。だからこそ人生の彩りになるのかなと。
今回は以上です。ありがとうございました。