今回は今年の1月に他界した、偉大なる先達「白井俊夫」さんのお言葉をいくつかご紹介します。含蓄のある言葉を残されているので興味がある方は是非ご覧ください。
白井俊夫さんを悼む会に参加したのが今年の3月。
雨が降っていてまだ寒かったことを覚えています。その際に以下の記事を書いており、この中にも白井語録からいくつかご紹介しております。
白井さんを悼む会、その前に知っておきたいこと。 - 1978 -アラフォーからの一生モノ探しー
本当に好きな言葉は上で紹介していますが、まだまだ多くの名言を残されていますので今回はその中からいくつかご紹介します。
読んだ方の記憶に少しでものこればと思います。
白井俊夫語録から好きな言葉をご紹介。
まだまだあるのですがその中で一部をご紹介します。
言葉の一つ一つから人柄が偲ばれますね。
着こなしは積み重ね
最初は下手くそでも積み重ねていけばいずれは上達するということでしょうか。日々装いを考えても失敗することがあります。後輩への暖かいエールの言葉。
良い服との出会いほど白駒の隙を過ぐるがごとし、奇貨居くべし。
白駒の隙を過ぐるがごとし=時が過ぎ去るのは一瞬
奇貨居くべし=好機を逃すな
つまり良い服との出会いは一瞬しかないので機会を逃すなということでしょうか。一期一会の出会いということですね。
着こなしは楽しく
服が好きなら誰しもわかるでしょう。素敵な言葉ですね。
もてなし=着こなし
これも素敵ですね。かの伊達政宗公は”もてなす”といういことについて以下のように述べています。料理好きな政宗公らしい名言。服を愛した白井さんは着こなしで”もてなす”ことをしたのでしょう。
「客人を接待する一番は、心のこもった料理を出すことである。皿数の多さは問題ではない。また名物や珍味よりも、たとえ一品でも、自分が料理したものを盛るならば、それが一番のご馳走である」
休日もこだわりの着こなしを
こちらは耳が痛い言葉かもしれません。
しかしながら服好きなら理解できるものと思います。同じ一日はないと考えると、また休日にしかできない装いもありますからね。
生地に着られるのは愚の骨頂
こちらも耳が痛い言葉かもしれません。
生地の蘊蓄だけ詳しくなってもダメだと。我々は服を着るのであって生地を着るのではないですからね。
本物ほど中庸
奇をてらう必要などないということですね。
クラシックとは、やはりこういうことなのではないでしょうか。
クラシックとは1本の川であり道。
赤峰先生が常々仰ってますね。
クラシックっていうのは1本の道しかないんだと。白井さんの言葉もそうだし、イタリアでお会いしたアントニオ・リヴェラーノ氏の言葉もそう。
やっぱり根っこというか、同じようなことを仰っているんですよね。
もちろん道幅があるので全く同じじゃないかもしれませんが、歩いているところは同じなんだなぁと思いますね。
クラシックもファッション化してきていて、今後どうなっていくのかはわかりません。ただ個人的には、80年~90年代のトレンディドラマにあった肩パットがゴリゴリに入ったスーツがファッションで終わったように、今のクラシックファッションも同じような結末になるんじゃないかなって考えています。
もちろん定着してクラシックの本流になる可能性もありますが。
まとめ。
いかがだったでしょうか。
今回は白井俊夫語録から好きな言葉をご紹介してみました。
他にも素晴らしい言葉を残されているのでいつか紹介したいと思います。
服って面白いですよ。本当に。
例えば斉藤さん。が若い頃の写真とか見ると今の価値観からしたらダサい。何でこんな細いんだって思いますね。女性の方がわかりやすくてメイクの雰囲気が全然違うから古く見えますよね。
でもクラシックスタイルってあまりそうならないんですよ。アメトラのアイビーなんて
ずっと定番ですからね。10年後、20年後に今の自分の写真をみてどう思うのか。楽しみです。
今回は以上です。ありがとうございました。