
今回はファッションブロガー目線でダサいと思う人について。荒れそうな題材ですが率直に述べたいと思います。興味がある方はご覧ください。
こういうネタは荒れるだけであまりブログ的に好ましくはありません。しかしながら全てに良い顔をするような八方美人が良いとは思いません。少なくとも筆者である斉藤さん。はそれが良いと思えない。スタンスははっきりしている方が読者にも親切だと思うので。
そもそも近年はSNSが全盛ということもあって、個人がいろいろなものを批評するようになりました。このラーメンは美味しくない、映画がつまらない等々。ファッションだって同じでです、というのが斉藤さん。のスタンスになります。
奇抜な服装カッコいい?いや恥ずかしい。

ファッション=個性
こういうことを言う人がいますよね。個性があるのがカッコいい、みたいな。個人的にどちらかといえばこれには否定的なスタンスです。
というのも、「個性=目立てばいい」という人が多いんですよ。やたら柄を使ったり、やたらアイテムを足してゴチャゴチャさせたコーディネート。これがカッコいいとは全く思わない。何故そんなに足し算をしたがるのか。
斉藤さん。が子供の頃は「ちんどん屋」という広告業?がありました。
知らない人向けに簡単に説明すると、派手な衣装を着て、太鼓やラッパなどの楽器を鳴らしながら街を練り歩きながら商店や商品の宣伝をする人たち。
子供心に見ていて恥ずかしいというか、ダサいと思っていました。(今はそういう職業なんだと認識しています)
ちんどん屋は仕事としてやっているからまだわかります。しかし個人がプライベートでするコーディネートとして、目立つことを目的とするのは最低だと思います。はっきり言ってしまえばダサい。
ファッションに興味がない人が勘違いをさせている?

これは間違っているのかもしれません。
ファッションにあまり興味がない人って、ファッションが好きそうな、奇抜なコーディネートをしている人を興味がないからこそ「おしゃれだね」みたいなことを言う傾向があると思うんですよ。
しかもその場合のおしゃれという言葉に真似したいという意味は含まれていない。
これが勘違いしたファッション好きを生み出しているんじゃないかと。これは邪推ですかね。気のせい?
奇抜なコーディネートを個性だという人って、自己愛性パーソナリティ障害の可能性があると思うんですよね。
自己愛性パーソナリティ障害というのは、承認欲求と特別意識の病気だと言われています。だから自己愛性人格障害者は「特別な自分」を演出できるファッションを好むのだとか。こういう人にとって「おしゃれだね」というのは最高の言葉なんですよね。そこに「自分は真似したいと思わないけど」という意味があってもわからない。
ボー・ブランメルは以下の言葉を残しています。
- 人からお洒落と思われているうちは、まだまだお洒落ではない
- 道行く人々が振り返って君を見るならば、君の着こなしは間違いだ
この言葉こそが真理なのだと思います。
まとめ。
いかがだったでしょうか。
今回はファッションブロガー目線でダサいと思う人、そのコーディネートについてご紹介しました。コメント欄を閉じてなければ荒れそうですね(笑)
やはり大人は正当にカッコ良くないとダメだと思うんですよね。奇をてらった奇抜な装いは若い人に任せればいいんですよ。そうではなく、大人としてのカッコよさがある人が本当の意味でカッコいいのだと思います。
ボー・ブランメルの時代にも目立つのがカッコいいという人がいたようです。化粧をする男性とか、ド派手にするのがカッコいいという人とか。そういう人をばっさりと切り捨てたのが紹介した言葉になります。
今回は以上です。ありがとうございました。