1978 -アラフォーからの一生モノ探しー

アラフォーのオッサンが自分のスタイルを探し続けるブログ。

【渓谷飛越】時代を超えて現代へメッセージ【第1回】

「天声人語」にあやかって「渓谷飛越」、つまりグレンオーヴァー。洒落が効いている。30年以上前に新聞で連載されていた珠玉のメッセージを全7回にわたって紹介するので是非ご覧いただきたい。

 

 

尊敬する人は?と聞かれて真っ先に思い浮かぶのは「赤峰幸生」と「江頭2:50」。

先日、赤峰幸生氏から資料を整理している際に見つけた資料ということで、過去に新聞に連載していた「渓谷飛越」の記事をご連携いただいた。

 

皆様は文章を読んで鳥肌が立った、という経験はあるだろうか。

素晴らしい小説を読んで感動したことはあるかもしれない、しかしながら新聞に連載されているような短い文章で鳥肌が立つような経験をしたことがあるだろうか。

少なくとも筆者はない。

 

今回は赤峰幸生氏に許可をいただいて紹介するとともに記事にさせていただいた。

蛇足かもしれないが筆者がどう思ったのかも合わせて述べさせていただく。

 

 

広告の目次

グレンオーヴァー。1981年(昭和56年)2月10日創業。

きちんとした「楷書」書けなくては、当世風の見事な「行書」は無理なのに、楷書が書けないうちから行書ばかり使いたがるような洋服会社ばかり。

時代性に合った真にクリエーティブな服は、楷書をマスターした人だけがつくれる。

そういう会社をつくりたい。つくらなくては、というのが発端であった。

 

折しも前年の暮れにはジョン・レノンが暗殺され、81年にはビートルズブームが再燃した年。ビートルズのようにクラシックの殿堂に入るような、いつの時代にも新しさが感じられるような、インターナショナルな服がつくりたい。洋服会社のビートルズになりたい‥。

 

7年が経ち、まがりなりにも「グレンオーヴァー流」と言われるような独自のスタイルが出来、目標とするべき新しい灯も見えてきた。

そろそろマーケティングの角度からも会社を見直す時期。より多くの人、店にグレンオーヴァーを理解してもらうため、熱い・コンセプトメッセージを贈りたい。

といって外人モデルを使い、セピア色のフィルターをかけたようなスタイルではグレンオーヴァーにはそぐわないだろう。

一見してすぐそれと分かるためには、新聞の楷書というべき「天声人語」のグレンオーヴァー版こそふさわしい。

 

この第1回目は、いわば「広告の目次」。

以降②「着手八分洋服二分」、③「皆、空洞」、④「差異性の同一性」、⑤「アメリカン化石」、⑥「本物という偽物」、⑦「工場は向上しているか」などのテーマにしたがってシリーズでお送りする。

 

日々多くの疑問を持ちながら我々が仕事をしている「アパレル」というこの不可思議な業界。あえて問題点を指摘するには、自ら襟を正さなければ資格がない。

そして、今のグレンオーヴァーをさらに超えなくてはならない。

渓谷飛越。

 

赤峰幸生氏の情熱が伝わってくる堂々たる序文ではないか。

上の文章はコピペではなく手で入力したもので、新聞と違い横書きのブログに合わせて多少変えている(漢数字をアラビア数字に変更等)ものの、当時の文章そのままである。

 

上記文章の中で7年が経ちという記述があるため、おそらく1988年頃に書かれたものであることがわかる。この記事は2022年に書いているので、34年も前に書かれたものとなるが、赤峰幸生氏の根底にあるもの、情熱はこの時から何も変わっていないことが伝わってくる。

残念ながらグレンオーヴァーはすでにないが、この考え方、スタイルというのは現在のAkamineRoyalLineに受け継がれているのがよくわかる。

 

これはあくまで序文、「広告の目次」であり次からが本番。

しかしこれだけ次が楽しみになる目次に筆者はお目にかかったことがない。

 

着手八分洋服二分

昔の演歌に「ボロは着てても心は錦(にしき)」という歌詞があった。昨今は全くこの逆で、「服はキメても心はコジキ」というところだろう。

とかく、ルックス(LOOKS)が重視される現在だが、どうも外見にこだわり過ぎではないか。フィットネスして、肩で風切る服を着て、〇〇〇ブランドのバッグを持ち、これ見よがしに街を歩く人の何と多いことか。

特に、無個性な人ほどこの傾向が強い。服を着るのではなく、服に着られてしまっている。

 

われわれは、こういう人たちを「もどき人間」と呼ぶ。

スポーツをするにしても、まず外見を整えることばかり気にしている。一応何でもこなせるのだが、これといって秀でているものは1つもない、といったタイプだ。

元来、洒落(しゃれ)るということは、もっと内面的なこと。ひけらかす筋のものではない。「あの男はいい顔をしている」「あの男は顔のシワがいい」などという。

これは内面から出てくる味のようなもの。その人のインテリジェンスから自然に生まれるものだ。

プロポーションの良し悪しなどではなく、その人の存在感こそ洒落の原点ではないか。なのに、このままで行くと、粋(いき)ということからますます遠ざかり、洒落る本質が何なのかが全く分からなくなってしまいそうだ。

 

本当に洒落ることを知っている男は、決して「服バカ」ではない。ブランドの名前など少しも知らなくても、粋の心というものは知っている。

それでいい。

 

ルックスの時代からスピリット(精神)の時代へ。

われわれはそれを願うものだが、服がそこまで変化するには一朝一夕には行かず、まだしばしの時間がかかるであろう。

それにしても、服はやはり、「着手八分洋服二分」の比重であってほしい。

 

バブルで浮かれていた人たちをバッサリと斬るかのような文章。

現代を生きる我々はこれを読んでどう思うだろうか。

これ見よがしに街を歩く人は減ったかもしれない。ただこれは成熟したからではなく、ただお金が無くなっただけではないだろうか。

服なんかファストファッションで十分、という人が増えただけで、それは成熟したといえるものではない、と思うのは筆者だけだろうか。

 

現に男性ですら整形や化粧をする時代になっており、ルックス重視という意味では現代の方が重視されていだろう。男性は女性化しつつあり、女性的な美しさを持つ男がカッコいいと言われる始末。それではどこまでいっても女性の劣化版にしからならないのに。

 

「服バカ」ではない、本当の洒落者はいるのだろうか。

SNSを見ていてもブランド自慢ばかりを目にする。雑誌を開けばイタリア人風の日本人を目にする。あとは外国人モデルばかり。

 

スピリットの時代は遠い。

 

まとめ。

いかがだったでしょうか。

今回は赤峰幸生氏の許可を得て、過去に新聞に連載していた「渓谷飛越」から全8回中の第1回「広告の目次」と第2回「着手八分洋服二分」をご紹介した。

誤字脱字には注意したが、全て手で入力したのでもしあったなら申し訳ない。

いただいた文章を抜粋して紹介する、略して紹介することも考えたが、文章の持つ空気感や魅力が損なわれると思ったので全文記載することにした。

 

筆者の感想は全て文中に記載させていただいた。

皆様はどう思われただろうか。

毎週1回の更新を予定しており、次回は第3回「皆、空洞」をご紹介したいと思う。

 

最後に赤峰幸生氏に心からの感謝を。

 

今回は以上です。ありがとうございました。