GWは世田谷美術館と日本民藝館で民藝三昧‥は言い過ぎかもしれませんが、今回は民藝と服というテーマで考えてみたいと思います。民藝足りうる現代の服ってあるのでしょうか?
小学生の遠足以来、数十年ぶりの砧公園。
記憶にないのにどこか懐かしいような気がしました。錯覚なのですが。
世田谷美術館で行われていた「民藝」を赤峰先生と、そして目黒区議会議員の川原のぶあき氏と一緒に見てきました。赤峰先生の解説付きという贅沢な民藝鑑賞。
別日にはサークルメンバーと日本民藝館で民藝鑑賞。
服好きによる「紳士の集い」vol.5 - 1978 -アラフォーからの一生モノ探しー
民藝に詳しいわけではありません。ただ民藝の持つ「暮らしの中にある美」には服があり、現代の服は未来の民藝になり得るのか。
そんなことをずっと考えています。
民藝における「衣」
只被ふ為なら美しさ等どうでもいい。
だが美しさは着たい気持ちをそそる。
だから美しさが着物をもっと着物らしくする。
引用:柳宗悦「用と美」1941年
民藝には「衣食住」があり、柳宗悦氏の「用と美」では衣について上記の言葉が残されています。また民藝について市井に暮らす人々や地域の職人が作り、日常で用いる物であり、そこに美があるものと定義しています。
世田谷美術館での民藝展でも日本民藝館でも「衣」として飾られているのは和服を中心とした昔の人々が着ていた服ばかり。現代からみれば間違ってはいないものの、数十年後の未来も全く同じだったらそれは民藝なのでしょうか。
だって数十年前から和服は日常の生活道具ではないわけですから。未来に民藝として残るものは必然的に洋服になると考えています。
民藝に足りうる服とは?
民藝の定義に「日々の暮らしの中で使われる手仕事の品」とあります。
飾っておくようなものではない実用品、つまりは日常的に着る服であること。そして職人の手仕事によって生み出される品であること。この2つがポイントになります。
例えばビキューナ100%のような超希少な生地で出来た服が対象になるのか?といえば答えはNoになると考えます。カシミヤほど一般的に普及していないのが理由です。
また完全なるマシンメイドも対象外でしょう。逆に完全なるハンドメイドである必要もない。むしろ服の耐久性を考えたときに完全なるハンドメイドは実用品と言えないかもしれません。
所有している民藝の「衣」
実はそれなりの数を所有している気がします。
例えば上はDORSOでオーダーしたスーツですが、これの他にもRING JACKETのスーツやジャケット、AkamineRoyalLineのスーツだって該当するでしょう。逆に完全なマシンメイドであるBrooksBrothersのブレザーは対象外になると思います。
同じように探せば他にもいろいろあるのでしょう。服ではなく靴だってそう。服が好きな人なら持っていてもおかしくはないのだと思います。暮らしの中にある美であり、日常品なのだから必ずしも高価である必要はないのですから。
もっとも斉藤さん。が所有している服は死ぬまで着続けるつもりです。そのため飾られるような価値のあるものにはなりませんが。
まとめ。
いかがだったでしょうか。
今回は民藝と服というテーマで「民藝足りうる現代の服」を考えてみました。
世田谷美術館や民藝館にある服で唯一気になったのは使用感の少なさ。状態が良すぎるんですよね。もちろん日常生活に使われる服だからといって、デッドストックのようなものもあるのですが‥着込んだ美みたいなものはあまり感じませんでした。
そういえば火消しが羽織るディアスキンの羽織りは圧巻でしたね。あとは樹木の皮で作られたアイヌのアットゥシも。昔の人の技術って凄い。機械がない時代だからこそ生まれたものでしょうね。
今回は以上です。ありがとうございました。