「天声人語」にあやかって「渓谷飛越」、つまりグレンオーヴァー。30年以上前に新聞で連載されていた珠玉のメッセージを全7回にわたって紹介する企画。今回はいよいよ最終回となる第7回。是非ご覧いただきたい。
尊敬する人は?と聞かれて真っ先に思い浮かぶのは「赤峰幸生」と「江頭2:50」。
先日、赤峰幸生氏から資料を整理している際に見つけた資料ということで、過去に新聞に連載していた「渓谷飛越」の記事をご連携いただいた。
全8編からなる「渓谷飛越」だが、今回は最終回となる第7回。8編目をご紹介させていただく。
最終回のキーワードは「日本製」、そして「情熱」。30年の時代を超えて送られるメッセージをご覧ください。
無題。
明治維新の頃、オランダ軍が運んできた大砲の使用法を、日本軍は実に早く、正確に学び取ったという。しかし、その大砲が、なぜ、どういう発想でできたか、問い正した軍人は1人もいなかったそうだ。
今日の新聞にも、イタリアを中心としたブランド提携や広告が載っているが、イタリア人がこれらの製品をどう発想し、つくったのか、日本人にはなぜできないのか、を問う企業は少ない。
明治維新後すでに100年以上の歴史があるにもかかわらず、われわれ日本人は、その頃とほとんど変わらない姿で海の向こうのものを争って導入している。
これではベトナム戦争におけるジュータン爆撃と同じだ。あとにはペンペン草も生えない。荒地と後遺症が残るだけである。
先日、横浜・馬車道のS店の部長氏とお会いした時、イタリア職人の話しになった。イタリア職人は、服に対する激しい情熱を何十年も持ちつづけることで何かが見えてくる。自分たちにしか持てない技術や感性がインスタントにできあがるはずがない、ということから最後はやはり、イタリア職人の情熱を心から理解しながら輸入や提供をすすめている業者は少ないという結論になった。
テレビで海外青年協力隊のアフリカでの地味な活動を見る。情熱を持っている人たちの目のなんと輝いていることか。私が知ってる本当の職人の目と同じように。
1つのものごとを極めるのは並大抵のことではないが、情熱をもって日本人のための服をつくりつづけることが最も大切だと改めて思う。
わがグレンオーヴァー社も8年目を迎え、新しい事業部体制のもとに再スタートを切った。小さいながらも、自分たちの役割を自覚し、世界に通用する「日本製」をつくり上げていきたい。
渓谷飛越も8回目の今回で終わり。
長い間のおつき合いに心から御礼申し上げます。
何かご意見があれば当社・赤峰(TEL=XX・XXX・XXXX番)までご一報下されば幸いです。
最終回は当時のアパレルへの憂いと、日本製への希望を綴った文章だと感じた。
渓谷飛越は全編を通して「憂い」が前面に出ていたように思う。残念なのは30年以上の時を超えてなお変化‥いや、進歩がないということだろう。
明治維新後すでに100年以上の歴史があるにもかかわらず、われわれ日本人は、その頃とほとんど変わらない姿で海の向こうのものを争って導入している。
最近思うのだ。われわれ日本人はミーハーなのではないだろうか。遺伝子的に。
そうでなければ30年以上も同じことをし続けるだろうか。情報社会の現代で通じるだろうか。
筆者はウイスキーが好きなので、ウイスキーと比較をさせていただくが、竹鶴政孝氏がスコットランドに勉強しに行き、サントリーとニッカがゼロから作り出したジャパニーズウイスキーは、研鑽を重ねて世界一になった。
世界中のウイスキー好きが日本のウイスキーへ熱視線を送る中、日本人は未だに海外ウイスキー偏重の人がいる。
アパレルのビジネスは日本人のミーハー具合をとても上手く利用しているように思う。
三陽商会がバーバリーのタグを使えなくなる直前、バーバリータグのトレンチコートは駆け込み需要でとても売れた。でも実際には同じ工場で100年コートを作っており、厳しめに見てもクオリティは下がっていない。それでもバーバリー程売れていない。
結局、ミーハーな日本人は求めているのはブランドの「タグ」だということだろうか。
そう決めつけてしまうと悲しくなる。
だが30年の時を超えたメッセージを読んで、進歩がないことが浮き彫りになった。
どう思うだろうか。
メッセージを受けて。
全7回に渡って30年以上前のメッセージを紹介した。皆様はどう思われただろうか。
アパレルの商売の仕方が何も変わっていないこと、そして日本人がずっと踊らされているということにどう思われるだろうか。
もちろん、楽しいから問題ない、という方もいるだろう。
筆者はそれを否定しない。
でも筆者の感想は違う。
舐められてるなと。馬鹿にするなよと。
正直、言葉は悪いがこんなふざけた商売しかできないなら、潰れてしまえと。
あの手この手で「それっぽいもの」を売りつける商売なんかない方がいい。いや、だからユニクロを中心としたファストファッションに駆逐されつつあるのか。
ただ筆者は悲観していない。
情報社会の現代、30年前とは違う。消費者が賢くなることはあっても、ここからさらにバカになることはないだろう。
逆に考えると夜明けが近いのかもしれない。
他の渓谷飛越の記事はこちら。
【渓谷飛越】時代を超えて現代へメッセージ【第1回】 - 1978 -アラフォーからの一生モノ探しー
【渓谷飛越】時代を超えて現代へメッセージ【第2回】 - 1978 -アラフォーからの一生モノ探しー
【渓谷飛越】時代を超えて現代へメッセージ【第3回】 - 1978 -アラフォーからの一生モノ探しー
【渓谷飛越】時代を超えて現代へメッセージ【第4回】 - 1978 -アラフォーからの一生モノ探しー
【渓谷飛越】時代を超えて現代へメッセージ【第5回】 - 1978 -アラフォーからの一生モノ探しー
【渓谷飛越】時代を超えて現代へメッセージ【第6回】 - 1978 -アラフォーからの一生モノ探しー
まとめ。
いかがだっただろうか。
今回は赤峰幸生氏の許可を得て、過去に新聞に連載していた「渓谷飛越」から最後となる全8編中の第8編目「無題」をご紹介した。
誤字脱字には注意したが、全て手で入力したのでもしあったなら申し訳ない。
筆者の感想は全て文中に記載させていただいた。
皆様はどう思われただろうか。
今回で終わり。いつになく真面目な文体で書かせていただいたが、たまには良いのかもしれない。たまにだが。
筆者は衣食住における「衣」の未来は明るいと考えている。
今の時代、ダメなものは容赦なく淘汰される。そう考えたときにアパレル危機が叫ばれるからこと明るいと考える。遅々として進まない服飾文化を一気に進めることだってあると思う。
お付き合い下さった皆様、この珠玉のメッセージを、思ったことを是非周囲に伝えていただきたい。一緒に服飾文化の針を進めましょう。
今回は以上です。ありがとうございました。